第103号 2012年4月号
春を愛でる
あぁ、私たちはなんと美しい大地に生きているのだろう。
寒い冬を過ぎ、暖かい春の日差しが降り注ぎ始めると、今まで深い眠りについていた小さな命がそこかしこで賑やかに動き始め、歌い始め、咲き始め、香り始め、大地は春の装いへと変わっていく。この心奪われる美しい景色を一人でも多くの人に見せ感じてもらいたいと強く思う。写真を何枚撮っても、いくら綺麗な言葉を並べても、この大地の上に立ち自然の中で感じる、湧き上がるような生命の讃歌は私には到底表現し得ないことが残念だ。
2年前に苗木を植えたミカン園はホトケノザが一面に茂り、紫色の花が満開で絨毯を敷き詰めたよう。その中を歩けば、フカフカと柔らかな草と大地の感触が足の裏から伝わってくる。堅く閉じた芽が少しずつ開き伸び始めた茶畑でも、小さな花々が彩りを添えている。茶樹の根元でナズナとハコベは小さな白い花を結んだ。よく注意しなければ見過ごしてしまいそうなほどに小さく健気な花。しかし大地にしっかり根を張り、少しでも太陽の光を得ようと茶樹を伝って上に向かって精一杯伸びている。有機農業ではこの自然の絨毯が強い太陽の日差しから土を守り、土壌の浸出や劣化も防いでくれる。刈り取られた草は大地に返り、土の肥しにもなる。雑草は忌み嫌われがちだが、私たち百姓にはとても大切な存在。春になれば、私たちの目を楽しませ、時には腹も満たしてもくれる。
小さな花を見ながら、有機農業を続ける意味を考えていた。海外では何百ヘクタールという大規模農場で単一の作物だけ生産する有機農場があると聞く。かたや日本では太陽光のかわりに人工的につくられた光を照射し空調も完全にコントロールされた野菜工場で生産された作物が有機農産物としてもてはやされている。「有機」という言葉だけが中身を持たずに独り歩きしている。有機農業とはただ単に農薬や化学肥料を使わないという農業ではない。安全な作物をつくるというだけでもない。有機農業には自然の哲学が不可欠だと思う。小さな命に想いを寄せ、目に見えなくとも確かに存在する自然界の多様な生命とその営みの中に自らを位置付けることから始まる哲学だ。降り注ぐ太陽の光に感謝し、雨の恵みに感謝し、大地の豊かさに感謝し、多様な生命の循環の中で生かされている自らの存在を意識する。そんな哲学が農業という実践と日々の生活の根底にある。
色とりどりの花が咲き、風薫る春は私たち人間をグッと大地に近付けてくれる季節なのだろう。大いに春を愛で春の喜びを分かち合おう。小さな花から教わることはたくさんある。