第128号 2014年7月
生きること、食べること
6月、我家に30羽の新しい家族が仲間入りした。孵化して間もない合鴨のヒナたちは小さな段ボールに入って送られてきた。ある程度大きくなり外でも十分に生きられるだけの体力がつくまでの最初の10日間ほどは育すう器という保温された箱の中で育てる。そしていよいよ放飼の日。田に放たれた合鴨たちは水を得た魚ではなく、鴨!大喜びで水の中にバシャバシャと飛び入り、誰に教えられたのでもないのに上手にスイスイと泳ぎまわっている。時折水中に顔を突っ込んでは雑草を食べ、稲に付いた虫を目ざとく見つけてはパクパクしている様は何とも可愛らしく、ついつい時間を忘れて見入ってしまう。これまで夏の田の草取りは私たち百姓の腰を痛めつけてきた。村の年寄りたちの腰の曲がり具合を見ればどれ程過酷な仕事かは容易に想像できるはず。その苛酷な除草作業の救世主として今年から合鴨を田に放つこととなった。さて、どうなることか。
合鴨などの水禽を田に放つ技術を一般的に合鴨農法と言い、早くは安土桃山時代に豊臣秀吉が水田でアヒルの放し飼いを奨励したとされる文献が残されている。戦後、戦争で使われなくなった毒ガス、化学兵器などは「平和利用」の名のもとに農薬や化学肥料に姿を変え、日本だけでなく世界中の大地にばらまかれるようになった。長い歴史の中で脈々と受け継がれてきた知識や技術は忘れ去られ、農薬・化学肥料が無ければ何も作れないと信じ込んでいる農家が何と多いことか。戦後たった数十年でここまで大きな意識の変化が起こった事に驚きを感じる。百姓だけでなく、食べものを日々消費する多くの人々も食べものとの距離、そして命との距離が広がっているように感じる。
何も最新の技術や農薬を全否定したいのではない。これまでの除草などの重労働から農民が解放された事は喜ばしいことだと思う。ただ、農薬などの普及によって失ったものにも想いを巡らせたい。農家は防除暦に従い農薬を散布し、指導員の言うとおりに化学肥料などを土に撒き、自ら考えることをしなくなった。地表の作物は見えてもその土中で、そして畑を取り巻く自然環境で何が起こっているか見ることは無くなった。見えなくなったと言った方が正しいかもしれない。農薬は希釈して使い、畑の虫や細菌を殺す。多量であれば人も死ぬ。出来ることなら使用を最小限に止めたい劇薬を使わない為のヒントは実は祖先が残してくれた知恵や技術の中にある。
今年から作り始めた無農薬1年目の田んぼには田植え後に米糠を撒いた。そしてその1週間後には豊年エビやタニシ、オタマジャクシなどなど、大量に泳ぎ始めた。昨年までは生き物の姿が殆ど見られなかった田んぼでだ!自然とは何と寛容なのだろう。これまで大きな破壊を繰り返してきた私たち人間に出来ることはまだまだたくさんある。小さい命に想いを巡らせ、共に生きる道を模索することが、私たち自身の豊さにも繋がると思う。まだまだ主流にはなれなくとも、農薬や化学肥料に変わるオルタナティブを提案していけたらと、元気に田を泳ぎ回る合鴨たちの姿に思った。