第165号 2018年4・5月
生類のみやこ
今年は3月から暖かな日が続き、桜の開花が早かったように茶の新芽の動きも早い。鍬を持って大急ぎで茶畑へ。朝から昼前の太陽の光は茶の芽を金色に光らせて見せる。そして陽がだんだんと西へ傾くにつれてその色は徐々に緑色を帯びる。風が吹けば、空に向かって伸びる幾千もの芽がチラチラと揺れ光る様は毎年何度となく見る光景だが、いつも心奪われる。
無農薬に切り替えて4年目の畑がある。70代の老夫婦が曲がった腰で一生懸命丹精していたが、おじいさんが体調を崩してしまい、続けられなくなったため我が家に託された。借り受けて1年目は茶樹の更新のためにだいぶ低くまで葉枝を刈り落とす。無農薬で長年つくっている畑であれば、親指ほどもあるような太い枝でも一夏過ぎる頃にはボロボロと分解されて土へ還っていく。ところが、長年農薬や化学肥料を使っていた畑ではそうはいかない。1年経っても2年経っても太い枝はガサガサとした枯れ枝の分厚い層として土の上で原型を留めているため、その上を歩いて行う作業は困難を極める。3年経った頃に漸く細かく崩れ始める。以前、農薬を使っていた田んぼを無農薬に切り替えた際にもやはり同じような経験をしたことを思い出す。3年という時間が経った頃から徐々に土の様子が変わってくる。4年目となる茶畑で今年の春も草取りをしていて驚いたことは、以前はアスファルトのように硬かった土が歩くだけで足がズブズブと土の中に埋まるように柔らかい。年月を経て土がだんだんと変化しているのだ。
もう一つ面白い変化がある。畑に生える草も土が変わるにつれて変化していく。それまで除草剤が使われていた畑では雑草の多様性が乏しい。最初のうち生える草は除草剤を使ってもなかなか駆除できないような強い草ばかり。切り替え1年目の畑にはスギナやシダなど地下で広がり増える草が多く、除草作業ではまるでほふく前進のように身を屈め根や地下茎を掘り起こしながら進んでいく。このような草取りが3年ほど続いた。それが今年の春はそれらの草は姿を消し、代わってハコベやカラスノエンドウなど瑞々しい草が増えだした。カラスノエンドウなどのマメ科植物は空気中の窒素を固定し土を肥やしてくれる。更にこれらの草は鶏の好物でもあるため、夕方仕事上がりの前にはコンテナ一杯に草を集めて持ち帰る。生い茂らせてしまえば新芽の生育を阻害してしまうが、草との上手な付き合い方もあるはずだ。土壌の肥沃さはそこに生える草を見ればわかると言われる。草が変わってきたということは土が豊かさを取り戻している一つのバロメーターでもある。
農薬散布は地上ばかりでなく土壌中の生態系をも乱す。本来であれば、自然界では落葉などの有機物は土壌生物によって分解され、植物が根から吸収することができる。ところが、現代の主流な農業では地上には農薬を散布し、土壌には植物が直接吸収できる化学肥料を施用するという、生産対象の植物以外の生物は完全に無視さらには排除するということが行われている。そのため畑では多様性は失われ、作物のみが育つという異様な光景が広がる。
今年2月に作家の石牟礼道子さんが逝去された。苦海浄土に「生類のみやこはいずくなりや」という一節がある。人間のみにとどまらず命あるものすべての「生類」へ向けられた眼差しは水俣病から福島の原発事故、人間の手によってもたらされてきた様々な「毒」へと繋がっていく。「人類は生類の一部であるとき、はじめて人類たり得る」と若松英輔さんが追悼文集の中で解説されている。「その自覚を取り戻せなければ世は一層闇に覆われると彼女は感じていた」とも。多様性の中で生かされ、日々の糧を得ることができることを茶畑の変化の中で気づかされる。石牟礼道子さんの祈りを残された私たちはしっかり受け止め日々の暮らしを見つめ直す時だと思う。